本格化するイスラエルの対レバノン攻撃
2024年9月27日、レバノンのヒズボラ(神の党)の最高指導者ハッサン・ナスラッラー師がイスラエル軍の空爆で殺害された。
これを受け、国際メディアでは、イスラエルとイランの戦争への拡大や、イスラエルのレバノン侵攻に伴うレバノンでの全面戦争の可能性が取りざたされている。
ガザ紛争を含め、今回の中東地域での緊張の高まりにともなう国際状況には、これまでのものと異なる点がいくつかある。
第1は、原油価格が、ニューヨーク先物市場のWTIで1バレル当たり70ドルを挟んで小幅の値動きにとどまっていることである。
第2は、アラブ諸国からはイスラエルに対する非難の声は聞かれるものの、あまり厳しいものではなく、イスラエル・ボイコットの動きも広がっていないことである。
第3は、国際社会では、イスラエルに対する非難の声よりも国連安全保障理事会の機能を疑問視する声の方が強いことである。
このうち、第1と第2の点は関連性がある。9月26日付フィナンシャル・タイムズ紙が報じているように、サウジアラビアが原油価格を1バレル=100ドルという目標を維持するために実施していた自主減産の量を縮小する方向を決定したため原油供給量が増え、原油価格が低下する可能性が高まっている。
1バレル=70ドルを切ることで国家財政の悪化が予想される産油国は、国家ファンドの運用状況をより注視するようになっている。
こうしたこともあり、イスラエルとの国交正常化を進めたUAEやバーレーン、イスラエルのハイテク産業と関係が深い米国のナスダック市場などで投資を行っているサウジアラビアは、イスラエルとの関係悪化の回避を望んでいるとみられる。
国際的なエネルギーシフトが進行する中、エネルギー大国であるアラブ産油国も、パレスチナ問題やアラブの大義より、国益を優先する対外政策をとっているといえるだろう。
一方、第3の点については、国連安保理の設置の意義や主要7カ国(G7)が提唱する国際秩序への疑問や、国際法や国連決議の順守を求める声が、グローバルサウスの国々から上がりはじめており、時代の変化の兆しも見られている。
以下では、このような国際情勢の中で進行しているイスラエルによる対レバノン攻撃について検討し、イスラエルの安全保障戦略に見られる軍事力による抑止が抱える問題について考察する。
最近のレバノンをめぐる動向
9月15日、レバノン南部の村々に、イスラエル軍が地上侵攻した際にこれらの地域をどのように分割するかを示した軍用地図が空から投下された。
その翌日、イスラエルの安全保障閣僚会議で、現在の戦闘目標である「ハマス壊滅」に「避難しているイスラエル北部の住民(約6万人)の帰還」を追加することが決定された。
そして、9月17日、18日、ヒズボラ関係者が所持する携帯通信機(ポケットベル、トランシーバー)が爆発し、多くの死傷者が出るとともにヒズボラの通信網は大きなダメージを受けた。
この攻撃について、ネタニヤフ政権は沈黙を守っているが、同政府関係者や米国の高官の発言により、イスラエルによる犯行であることは確実であり、9月19日、ヒズボラのナスラッラー指導者は、今回の攻撃は「戦争犯罪あるいは宣戦布告とみなされる」と述べた。
携帯通信機器を爆発させる攻撃は、9月23日に米国のCBSニュースの番組に出演したバネット元CIA長官が指摘するように、「テロリズムの一形態」であることは疑いの余地がない。
しかし、国際的な独立調査を求める声やイスラエルに対する非難の声は一部にとどまっている。
携帯通信機器の爆発を機に、イスラエル軍は空爆の回数を急増させ、ヒズボラの兵器庫やロケット発射装置を次々に爆破していった。それに伴い、レバノンの民間人犠牲者も増加し、医療体制は厳しさを増している。
さらに、イスラエルは、ヒズボラ幹部の殺害を目的にベイルートの集合住宅への攻撃を行っている。
ヒズボラは、軍事司令部のイブラヒーム・アキル氏、ロケット・ミサイル部隊のイブラヒーム・クバイシ司令官、空軍部隊のムハマド・スルール司令官など軍事部門の要人の多くを失い、通信網に次いで、作戦部隊の指揮系統も打撃を受けた。
2023年10月以降、ヒズボラはイスラエルへの攻撃を続けているが、しかし、その攻撃は、長年にわたり対峙してきたイスラエル軍とヒズボラとの間の暗黙のルールにもとづき、抑制されたものであった。
一方、イスラエル軍が9月17日から展開している攻撃は、米国やフランが心配する「レッドライン」を越えている。これを受け、ヒズボラもイスラエル北部の商業都市ハイファ周辺の軍需産業施設、空軍基地に対し、最新のミサイルで攻撃するなど、事態はエスカレートしている。
国際社会は、9月25日、国連安保理の緊急会合を開催するが打開策を見いだせていない。また、米国とフランスを中心に、オーストラリア、カナダ、ドイツ、イギリス、イタリア、EU、日本、サウジアラビア、UAE、カタールにより21日間の停戦案がまとめられ、レバノンとイスラエル両政府に示されたが、ネタニヤフ政権は戦闘継続を決定した。
この9月25日までに、イスラエルは、ナスラッラー氏殺害作戦を協議し終えており、27日にニューヨークでの国連総会の一般討論演説直後、ネタニヤフ首相は電話で殺害作戦の実行を伝えた。
そして、イスラエル軍は、ベイルート南部近郊のダヒエにあるヒズボラ本部(集合住宅の地下に設置)を空爆し、ナスラッラー師を含む複数の司令官を殺害した。
イスラエルに帰国したネタニヤフ首相は、この空爆について「歴史的転換点」と評価している。
一方、ヒズボラを支援しているイランのハーメネイ最高指導者は、「この地域の抵抗勢力はヒズボラを支持し、ヒズボラと共に立ち上がる」と語り、5日間の服喪を指示した。
イスラエルがナスラッラー師の殺害作戦に踏み切った背景には、1982年に誕生したヒズボラが1985年に宣言した4項目の中の「イスラエル抹殺の準備段階としてイスラエルをレバノンから最終的に撤退させる」という項目を、同師の下で着実に進めてきたことがある。
1992年に第3代目の指導者に就任したナスラッラー師は、2000年にイスラエルが20年近く続けていたレバノン南部の占領を終わらせ、2006年のイスラエル軍のレバノン侵攻では戦況を膠着状態に追い込み、国連安保理決議1701号にもとづきイスラエル軍のレバノン撤退を導くなどの実績を残している。
また、同師は、1989年から91年にかけてイランのコムの神学校で学んでおり、イランとの関係も深い。
イスラエルにとって、このような人物を殺害することが、現在のヒズボラとの戦いを勝利に導くカギであり、今後のレバノン侵攻で成果を得るために必要であったと考えられる。
しかし、レバノンの主権を侵害し、多くの国会議員を輩出している政党でもあり、福祉組織でもあるヒズボラを一方的にテロ組織として認定し、その指導者を殺害する行為は、イスラエルの国際的評価を悪化させることになる。
また、イスラエルは、過去のレバノンでの軍事行動では十分な成果を上げられていない。
この点についての歴史を振り返っておこう。
歴史は繰り返されるのか
ヒズボラが誕生した要因は、(1)1979年のイラン革命の影響、(2)イスラエルのレバノン侵攻にともないレバノン国内でシーア派の人びとが発言力を高めるようになったことなどがある。
イスラエルのレバノン侵攻について歴史を振り返ってみよう。
1982年6月6日、イスラエル軍はレバノンからのパレスチナ解放戦線(PLO)などパレスチナ人によるイスラエル北部への攻撃を終わらせるため、レバノン領内に侵攻した。
この時の侵攻にはもう一つ目的があり、レバノン国内に親イスラエルのマロン派キリスト教政府を樹立しようとしていたことが明らかにされている。
この点は、1978年の第1回目のレバノン侵攻との大きな違いである。
イスラエルは、1982年の侵攻の結果、当時、テロ集団とみなされたアラファト議長率いるPLOをレバノンから退去させるという目的は果たした。しかし、レバノンでのキリスト教政府の樹立は達成できなかった。
そして、1982年9月に占領していたベイルートから撤退、翌1983年9月にはアワリ川の南まで撤退し、1985年2月以降、南レバノンからも段階的撤退を開始し、2000年にようやく撤退が完了した。
その中、ヒズボラが誕生し、勢力を拡大していった。レバノンにおけるシーア派住民は、1982年夏以降、戦闘に巻き込まれ、何千人もが死傷し、難民となった。
また、イスラエル軍の侵攻過程での戦闘は、シーア派住民の生命・財産を軽視したものであったため、シーア派住民のイスラエル嫌悪感は高まっていった。
さらに、イスラエル軍は占領中、住民に対する暴力行動や検挙を繰り返し行っていたことから、イスラエル軍の撤退を求めるシーア派住民の抵抗運動が本格的に開始された。
ヒズボラは、誕生後しばらくは、ベイルート南部や東部の郊外を中心に活動していた。
その後、ベカー高原、レバノン南部に活動の場を広げ、イスラエル軍によって破壊された住宅、学校、無料診療所、病院などを建て直し、戦争被害者の支援活動を行ったことで、支持者が増えていった。
こうした社会活動は、議会会派「レジスタンスへの忠誠」の政治活動につながり、1992年に8議席、2000年には12議席、2018年には71議席(128議席中)と過半数を超える議席を有する政治勢力になった。
では、なぜ、一部の国はヒズボラをテロ組織に指定しているのだろうか。それは、ヒズボラがレバノンからの外国軍の撤退を求め、1980年代に起こした3つの事件に起因している。
1つ目の事件は、1982年11月のイスラエル軍の占領本部への自爆テロ事件(死者141人)である。2つ目と3つ目は、1983年10月の多国籍軍の一部としてベイルートに駐留していた米軍へのテロ事件(死者141人)とフランス軍へのテロ事件(死者31人)である。
この他、当時、ヒズボラは、外国人人質事件を起こして国際的非難を浴びた。こうしたヒズボラの一部による過激行動は容認されるべきではない。
ただ、ヒズボラによる、
(1)自国からの外国勢力の撤退を求める非暴力の抵抗運動、
(2)テレビ局アル・マナール、ヒズボラ・ラジオ局や出版社を通じて
国民世論に影響力を与えること、
(3)貧困層への支援をはじめ福祉、医療、教育などの分野で、
レバノンの市民社会を基礎的に支えていることは軽視できない。
42年前、イスラエル軍は、レバノン侵攻により、同地からPLOを退去させることで自国の脅威を低下させた。
そこには、レバノンに避難してきたパレスチナ人と、先住者であるシーア派住民をはじめとするレバノン人との対立という要因が働いていた。
しかし、レバノンからPLOが撤退した後の抵抗運動は、イスラエル軍の占領下で憎しみを募らせた、郷土で暮らすシーア派を中心とするレバノン人により行われてきた。
今回、イスラエルはヒズボラの弱体化を目的にレバノン領内への攻撃を強めている。果たして、こうした攻撃がレバノン人の抵抗運動を消滅させることができるのだろうか。
レバノンから退去したPLOは存続しており、現在もイスラエルにとって脅威であることに変わりはない。
また、2004年にイスラエルはハマスの設立者アハマド・ヤシン師を空爆で殺害したが、およそ20年後の2023年10月、ハマスはイスラエルへの越境攻撃を実行するに至っている。
果たして、こうした歴史は繰り返されるのだろうか。
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全文を読みたい方は「イーグルフライ」をご覧ください。
メルマガ&掲示板「イーグルフライ」より一部抜粋しています。
(この記事は2024年9月30日に書かれたものです)
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