英国金融市場は世界的「炭鉱のカナリヤ」か
苦しい経済・財政事情
大型減税と規制緩和による経済活性化で「第二のサッチャー」を目指した英国のトラス首相は、政策迷走による金融市場の混乱を招いたことで党内外の信頼を喪失し、就任から僅か44日で辞任表明に追い込まれた。
次期首相(スナク元財務相)が就任するまで首相にとどまるが、英国史上最短の首相在位期間となることは間違いない。
スナク氏は前回党首選の計5回の議員投票を何れも第1位で通過、当時からトラス氏による財源の裏付けがない大型減税案の危険性を指摘していた人物で、財政規律派の元財務相として金融市場の信頼回復が期待はできる(ただ、金融市場の状況は極めて厳しい)。
それでもトラス女史が保守党党首に選出されたのは、ジョンソン前首相の辞任の引き金を引いた人物として党内のジョンソン派の反感を買ったからだった。
だが、金融市場では既にスナク政権発足を読んでいた段階から反応は鈍い。それだけ、英国経済・財政の環境がただならぬ状況に陥ってきたことを意味している。
財務相は10月末に前倒しされた中間財政計画を発表する方針にあり、新たな増税や歳出削減作が必至となる内容になることは明らかだ。
ハント財務相はトラス減税の大半を撤回したものの、まだ300~400億ポンドの財政負担増政策が残されていて、政府の予算責任局(OBR)は、720億ポンド(12兆円)の追加の財政赤字削減が必要」と試算している。
10月以降、家計向けエネルギー料金を年間2500ポンドに凍結する措置は当初の2年間から半年間に短縮され、来年4月に打ち切られる。
現状程度のガス価格が続いた場合、凍結期間終了後のエネルギー価格は年間4000ポンド超に引き上げられる可能性があり、来年4月以降の消費者物価の大幅な上振れ要因となる。
また、今回の減税見直しは、金融市場の動揺を一定程度抑え、BOEの利上げ幅圧縮方向で景気の下支えとはなろうが、一方で景気浮揚効果の縮小と物価の下振れを通じて景気を下押しする。
「9.23ショック」(トラス減税策発表)直前の英10年国債利回りは3.495%。これが9月27日に4.510%と2011年以来の水準に跳ね上がったあと、10月21日時点でも4.058%と高いままだ。
今年1月当初は0.972%だったゆえ、英国の金融市場は異様と言っていい。
英年金基金が鍵を握る
恐らく、次期首相は何よりも英年金基金の運用状況を重視することになろう。
この英国債利回りの異様な高さ(混乱)の震源地がここにあり、火を付けたのが「高インフレ下のトラス減税政策」だったからだ。
この状況下では中央銀行(BOE)も極めて難度の高い金融政策を強いられよう。
「市場の機能不全が続いたり悪化したりすれば英金融システムに重大なリスクになる」。BOEは9月28日公表した声明で、国債価格の下落(利回りの上昇)への危機感をあらわにした。
BOEは残存期間20年超の銘柄を対象に、市場からの国債購入を10月14日まで実施。22日に発表したばかりの国債売却の方針を延期して買い支えに動いたのである。危機は深刻だったとの見方がある。
英FT紙は9月29日付で、BOEに警告のレターを送付した運用機関(年金基金の運用金融機関)の「BOEによる買い入れ措置がなければ超長期債の利回りは7~8%まで上昇した可能性がある」とのコメントを伝えた。
英国の年金基金はLDI「ライアビリティー・ドリブン・インベストメント」(債務主導投資)と呼ばれる運用戦略をもって資金運用している。
将来の年金支払額(負債)の見込みに運用収入(資産)が見合うように、債券(主に超長期債)を中心に運用する仕組みである。
債券や株のような通常の運用資産だけでなく、デリバティブ(金融派生商品)を活用。変動金利を支払って、固定金利を受け取る金利スワップなどを使う。
英国年金基金では2005年ごろから普及しはじめ、2010年代に広がった。低金利下で債券運用のリターンを稼げないので金利スワップで補完し、全体としてリターンを確保するという考え方だ。
LDIの2021年の運用規模(想定元本ベース)は1.6兆ポンド(約270兆円)に達したと推計される。
さらに、多くの基金はリターンを増幅させるために2~4倍のレバレッジ(英国債を担保にした借り入れ)を使い、ポジションを最大で7倍まで増やしたとされる。
この戦略の下では、長期国債利回りが上昇しなければ利益を得られ、低下した場合はさらに大きな利益を得られる。
ところが、国債利回りが大きく上昇したことでLDI運用は、たちまちのうちに危機に転じていった。
金利スワップの評価損が膨らんだうえに国債などレバレッジのための担保価値も目減りし、取引金融機関にマージンコール(追加担保の差し入れ要求)を突きつけられた。
年金基金側は追加担保のために保有国債の売却を余儀なくされ、それが国債利回りの上昇を加速され、追加のマージンコールを迫られるという悪循環に陥ってしまったのである。
BOEは、かつてこのLDIという投資戦略にお墨付きを与えてしまった可能性を指摘されている。
BOEが2018年11月に発表した金融安定報告書では、年金基金やヘッジファンド、保険会社といったノンバンクのレバレッジに関する分析が示された。
BOEはマージンコールがノンバンクの換金売りを通じて、金融市場で大きな価格変動を引き起こすことには警告をしてはいた。
ただこの分析では「金利が1日あるいは1週間で1%ポイント上昇した場合でも、換金売りの額は市場全体に占める割合は小さい」と結論づけられた。
また、「ポンドの10年物スワップレートがそのような上昇を見せたことは、1990年以降で一度もなく、1ヵ月単位で見ても1000回に1回の確率でしか起きないだろう」とされた。
こうした分析によっても背中を押され、LDIのポジション(想定元本ベース)は急増していったのである。
また、それが間接的に国債利回りに下押し圧力をもたらし、投資家の低金利予想が自己実現するのを後押しした、とも言えよう。
ところが国債利回りが1週間で1%ポイントの上昇どころか、トラス政権が減税を発表した9月23日の前後数日間は、英国債利回りが1日で最大1.27%ポイントも変動したため、今回、予想外の市場の混乱が引き起こされたのである。
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(この記事は 2022年10月25日に書かれたものです)
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