24年ぶりのドル売り介入の効果は?
介入だけで相場を反転させることはできないことは明らか
政府・日銀は22日、1998年以来のドル売り・円買い為替介入に踏み切った。しばしば言われている通り、為替介入だけでは為替相場の方向性を変えることは難しい。
特に、以下のことなどから、今回のドル売り介入の円安を抑える効果は限定的と考えられる。
- 円高を止めるための円売り介入であれば日銀は無制限にできるが、
今回は円安を止めるための外貨売り介入であるため外貨準備の限度があること - 米FRBは金融引き締めを続けており、これに対して日銀は強力な金融緩和を
維持する意向を示していること
(為替介入が金融政策の方向性の転換を予想させる場合は一定の効果があると言われるが、今回の介入は日銀が強力な金融緩和継続を決めた直後の為替介入であったため、政策転換も予想しにくい) - 米国はインフレ抑制のためドル高政策をとっており、米国との協調介入は期待できないこと
しかも、今回の介入実施のタイミングは最悪で、すでにその副作用も表面化している。
米国ではFOMCでインフレ抑制のための大幅利上げ継続を決め、そのため、米金利が急上昇し、それが世界的に株価を下落させていた。欧州各国の利上げも次々と利上げに踏み切った。
そうしたなかでのドル売り介入は世界の市場を一層、動揺させた。ドル安が米国のインフレ懸念を高めるほか、日本側がドル売りの原資として米国債を売却するのではないかとの懸念を高め、それらが米金利を一段と上昇させている。
実際、米FOMC後、日本の介入実施前の米10年国債利回りは3.5%程度で推移していたが、介入後には3.7%程度に急上昇し、一時、3.8%を超えた。日銀が金融緩和を続け円安を放置する政策をとっているのに対し、通貨政策を担う日本の財務省は円安を止めようとした。
また、元はと言えば、世界中の中央銀行がインフレを抑制しようとしているのに対し、日銀だけがインフレを容認しようとしている。こうした、ちぐはぐな政策が世界の金融市場を混乱させている。
95年の円高が止まったのは日米貿易摩擦問題が日本側の全面譲歩で手打ちになったため
では、今後、どういう展開になっていくと考えられるのか。
前回のドル売り介入が実施された1997~98年当時を含む、1990年代後半のドル円相場と介入の関係についてみていこう。
図1でみる通り、1990年代後半のドル円相場はジェット・コースターのような乱高下を示し、ドル買い、ドル売りの双方向での為替介入が実施された。
まず、1995年4月にかけて80円まで円高が進んだところでドル買い介入が実施された。その3年4か月後の1998年8月にかけて147円まで円安が進んだところではドル売り介入が実施された。そのわずか数か月後の1999年1月以降のドル安局面ではドル買い介入が実施された。ただ、いずれも介入が為替相場の方向性を決めたわけではない。
当時の状況
簡単に当時の状況を振り返ってみよう。まず、1995年にかけての急速な円高は日米貿易摩擦による円高圧力が原因だった。
結果的に貿易協議が日本側の全面譲歩で終わり、米国からの円高圧力が収束したことが円高を止めた。
この時、確かに日米協調介入が実施されたが、それは貿易協議での日本側が全面降伏したことで、米国側が矛を収めただけのことだ。
1990年代初めからの動き
1990年代初めからの動きを振り返っておこう。1991年に誕生したクリントン政権は、米国の財政赤字を削減し、それに伴う金利低下によって株価を押し上げる政策をとった。
米国の金利を低下させる財政赤字削減措置は、ドル安・円高要因となった。当時の米国経済は「雇用なき景気回復」の状況にあり、保護主義的なムードが残るなかにあってクリントン政権は、日米の貿易不均衡の改善を最重要課題とし、通商政策面で強硬な日本バッシングの姿勢をとった。
日米包括経済協議の場において、マクロ分野では日本の内需拡大を迫るとともに、ミクロ分野では日本の非関税障壁を撤廃すべく、分野ごとに数値目標を設け、通商法発動による制裁措置をちらつかせて、市場開放を迫る戦略をとった。
このように日米の貿易摩擦が激化するでは、日本側も貿易黒字削減のためにある程度の円高を容認せざるを得ず、為替市場でも、貿易摩擦は円高要因と受け止められた。
ドル円相場は、1994年には1ドル=100円割れとなり、94年末のメキシコ通貨危機(米国のドル売り・メキシコペソ買い介入が実施された)、95年1月の阪神大震災(保険金支払いのため日本の機関投資家が保有米債売却に踏み切るとの思惑)などもあって、95年4月にかけ一気に円高が進み、一時1ドル=80円割れとなった。
懸案材料であった日米包括経済協議に関しては、マクロ分野では94年2月の総合経済対策で米国の求めていた減税が実施され、また、ミクロ分野では電気通信の政府調達、保険市場開放などの問題が、米国の要求通り、順次解決された。
最後に残った自動車・同部品問題についても95年6月28日に決着した。
貿易摩擦問題解決による手打ちで、95年5月31日に、円売り・ドル買いの協調介入が実施(1ドル=83円程度の水準で実施)された。
米国が協調介入に応じたのは、当然ながら、その後の自動車・同部品問題での日本側の全面譲歩がわかったうえでの措置だった。
タイミングとしては日米の協調介入によるドル反発という形になったわけだが、米国が協調介入に応じたのは、日米包括経済協議で日本側が全面降伏したためだ。
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2022/09/26の「イーグルフライ」掲示板より抜粋しています。
続きを読みたい方は、「イーグルフライ」よりご覧ください。
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