悪しき産業政策が日本をダメにしている
2000年代以降、規制緩和の動きが停滞し始めた
日本経済が停滞を続けているのは、政策面の要因が大きい。まず、民間活力を高めるための規制緩和の動きが滞り、また、既存企業を過剰に保護しようとする政策が産業の新陳代謝の動きを阻害した。規制緩和に関する歴史を振り返ってみよう。
欧米では1930年代のルーズベルト米大統領によるニューディール政策以降、政府がマクロ経済をコントロールできるとのケインズ主義的な考え方のもとで、政府の役割を重視した経済政策が運営された。運輸、通信、電力などのインフラ事業は国営・公営企業が主な担い手となった。
しかし、1970年代になると生産性低下とコスト増大によるインフレや財政赤字拡大などといった副作用が露呈した。それが1980年代以降の規制緩和策、市場重視政策につながった。
米国のレーガノミクスや英国のサッチャリズムは民営化や規制緩和で民間活力を引き出し、それによって経済成長を加速させようとする試みだった。
日本でも1980年代、鈴木内閣のもとで、中曽根行政管理庁長官が第二臨調、いわゆる土光臨調を設け、それが日本における規制緩和の動きの先駆けとなった。土光臨調が手掛けたのが、三公社民営化だった。
鈴木内閣に続く中曽根内閣の下で、1985年にNTTとJTが発足し、87年にJR各社への分割民営化となった。
1990年代になると、細川内閣の下で、航空、タクシーなどの業界で行政が新規参入の認可などで需給調整を行う、経済的規制が原則撤廃された。
また、金融システム改革により護送船団方式の金融行政が改められた。2000年代の小泉政権も郵政民営化を進めたが、規制緩和の動きは次第に失速していったように思われる。
実際、2000年代以降の許認可件数は増加傾向を辿り、民間への行政の介入は増えていく。
電力自由化や電波オークションなどに関しては、主要先進国で1990年代に議論され、次々に導入されていったが、日本での導入は遅れた。
日本では各家庭で電力会社を選べるようになったのは2016年であり、電波オークションについてはなお議論中だ。
2012年12月に安倍元首相が掲げたアベノミクスは、以下の3本の矢によって日本経済をデフレから脱却させようとするものだった。
(1)大胆な金融政策
(2)機動的な財政政策
(3)民間投資を喚起する成長戦略
このうち、(1)、(2)は財政金融両面でのケインズ主義的なマクロ経済政策によって、東日本大震災の後遺症で落ち込んだ経済を押し上げようという政策だ。
(3)では「規制緩和等によって、民間企業や個人が真の実力を発揮できる社会へ」という方針が掲げられ、規制緩和により民間活力を引き出そうという政策スタンスが示された。
しかし、リーマンショックによる金融危機、東日本大震災とそれに続く原発事故と電力危機など民間企業の力では対応しきれない危機が続き、政府が経済を牽引することへの期待が高まったことがあってか、アベノミクスは、(3)の規制緩和などではなく、(1)、(2)など政府主導で停滞する経済を押し上げようとする政策に重点が置かれた。
(3)の規制緩和に関しては、確かに、ビジネスをしやすい環境を作ることを目的に地域や分野を限定して国家戦略特区などが設けられた。
だが、国家戦略特区は税制面での優遇や補助金や利子補給などを通じて政府が業界を誘導する産業政策的な面が強い。
本来、政府は恣意的に産業を育成しようとするのではなく、レフェリー的な立場で、競争環境整備などに政策の重点を置くべきだ。
日本では労働市場改革が不可欠
今の日本で特に必要とされているのは労働規制改革だ。
2019年の日本企業へのサーベイ調査(「経済政策と企業経営に関するアンケート調査」(森川正之、2019年)では、コンプライアンス・コストが大きい制度として多くの企業が「労働規制」を挙げた。
同調査の回答としては「労働規制」の回答が「事業の許認可制度」や「環境規制」より、はるかに多い。
日本経済の成長力を高めるためには、成長産業に労働力が流れやすくなっていかなければならず、労働市場の流動化が必要だ。
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2022/09/12の「イーグルフライ」掲示板より抜粋しています。
続きを読みたい方は、「イーグルフライ」よりご覧ください。
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