グローバリストは間違った価値観の成れの果て
グローバリストの価値観
世の中の価値観には2つの前提となる価値観があります。
「人には価値がある」という価値観と
「人には価値がない」という価値観です。
ダボス会議やビルダーバーグ会議を主催する世界経済フォーラムなどを運営するグローバリストの考え方は「人には価値がない」です。
「人には価値がない」という価値観の社会は次のように導かれます。
独裁主義・ファシズム
支配層と奴隷層に分断
地球を守るため人口削減
悪いことをしないように監視
スコア社会(スコアが悪いと食物も買えない)
ダボス会議では近いうちに世界の大変革・グレートリセットが来ると言われていますが、これは世界統一国家の樹立を目的にしており危険な概念です。
さらには世界統一宗教もすでに用意されており、これはさらに危険です。
こちらを合わせてお読みください
https://real-int.jp/articles/1913/
グローバリストの思想はどこから来るのか
グローバリストの間違った価値観というのは聖書の3大解釈間違いが原点です。それはそれぞれ
正しい 間違い
①性善説 性悪説
②仕事は使命 仕事は罪に対する罰であり苦役
③存在に価値がある 頑張って価値がある人になる
人は生まれながらに悪いから、監視、支配が必要であり
仕事は罰であるため、苦しいもので、だから仕事をしない者が偉く
頑張った自分たちはエリートであり、奴隷を支配する
という思考構造です。
グローバリストの中には働ないことが善であり、
働からないことで自分は神に近づくと考える宗教的な人たちもいるようです。
自分たちは働かないで、奴隷やお金に働かせようという考え方です。
グローバリストが人を奴隷化する手法は、お金を使うことが多いです。
御用学者に予算を付けたり
コオロギ食推進に助成金を付けたり
ベーシックインカムは政府に文句を言わせないための奴隷化の制度です。
ノーベル賞受賞学者を含め御用学者は、
自分たちが奴隷的に使われていることに気付いていないのかもしれません。
グローバリストの考え方を理解することが大事です。
詳しくはこちらをお読みください
https://real-int.jp/articles/1856/
聖書の間違った価値観がグローバリストを生んだともいえます。
多くの人も根底はグローバリストと同じ価値観
一方で、一般の人々もほぼ同じ価値観を有しています。
頑張ってお金持ちになる、金持ちが偉い
頑張ってエリートになって、人を支配する
仕事は苦役、仕事は悪いもの
働かないで奴隷に働かせる方が偉い
頑張って金持ちを目指す人は多いです。
有名なアニメのセリフですが「海賊王に、おれはなる」と聞いても違和感がある人はほとんどいません。
そのような価値観が当たり前になっているからです。
専門家も一般の人も、グローバリストと同じ聖書の間違い解釈に基づく間違った価値観を持っていることが分かります。
唯物的価値観が共通しています。
グローバリストへの批判や反論をするにも、彼らと同じ価値観では、
言葉に力がなく、
飲み込まれたり、
騙されることになります。
エリートにグローバリスト支持者が多い理由がまさにこれです。
エリートは「自分は頑張ったので社会の上位にいる」と無意識であっても思っている人が多いのです。
私たちにとって大事なことはグローバリストと戦う前に
自分の間違った価値観を修正
唯物的な価値観を修正
が必要です。
唯物的な価値観とは何か
唯物的とは辞書的には次のような意味です。
①精神の実在を否定し物質の根源性・独自性のみを認める
②打算的・享楽的⇒拝金主義
③人には価値がない・人生に目的はない・人に使命はない
聖書の三大間違い解釈に通じるものがあります。
また根本的には拝金主義も唯物的な思考からきています。
唯物的な価値観は、多くの面で人々の生活に浸透しています。
まず、学問やアカデミーの分野は唯物的になりやすいです。
実験して検証できないものを科学は排除するからです。
医療のような分野も唯物的になりやすいです。
唯物的思考が全て悪いわけではありません。
単純な「物」に対して唯物的であるのは問題ありませんが
超複雑な「人」に対して唯物的であると問題になります。
人間は両面を持つので、唯物的にだけ見ることが問題となります。
グローバリストは人に対して唯物的価値観なので危険といえます。
そういう意味では世界の問題の根源は唯物論だといえます。
二元論は唯物的思考の結果
唯物的思考の弊害の一つに、何でも二元論で考えることがあります。
二元論とは選択肢がイチかゼロの二択しかない考え方で、複雑なことにもイチゼロだけで判断するのです。
たとえば、
「頑張らなくて良い」といわれると
「諦めろってことですか」と聞き返す人がいるように
頭の中で不思議な二元論が構築されている人が多いのです。
二元論的な思考しかできない傾向が強くなっています。
これは、いくら考えても正解にたどり着かないことを意味します。
多くの人は前提に自覚がない
価値観は思考や判断の前提なのですが、前提は自覚がありません。
意見の違いが前提の違いだとも気付かないのです。
例えば、日常会話において、「どういった前提で話をしていますか?」
と聞かれたり確認することは少ないと思います。
前提は極めて重要ですが、その前提がどうなっているのか、ということも誰も気にしないという不思議なことになっています。
前提が変わると、そこから導かれる結論は変わってきます。
そして、それは社会の構造に違いにまで影響します。
それくらい、前提というのは大きな話です。
例えば、社会における人の前提が変わると、以下のようになります。
①人には価値がある⇒民主主義
国民に主権
政治家は国民を愛し、国民を守る使命
②人には価値がない⇒独裁主義・全体主義
優秀な人が政治をすればよい
支配層にお任せ=国民は奴隷
国民が悪いことをしないように監視
たった一つの前提が違うだけで、大きく世の中が違ってしまうことがわかると思います。
また、どちらの社会が良いかを比べることで、どちらが生きやすいか分かります。
①人には価値がある
生きる目的がある
生きることが楽しい・心が躍る
②人には価値がない
生きる目的がない
無価値観・唯物的
成績が良いと褒め、悪いと叱る
困ったら死ねばいい・死ねば終わる
「困ったら死ねばいい・死ねば終わる」という言葉を使ったのは天才の成田悠輔さんです。
こちらの記事も合わせてお読みください。
https://real-int.jp/articles/2000/
実は無価値観の人が増えています。
・優秀な大学を卒業
・医者など皆が尊敬するような仕事
・年収が高い
優秀といわれる人たちの中に無価値観を持つ人・唯物的な人が多いのです。
なぜ多くの一般の人々の価値観も唯物的になってしまうのか
最大の原因は唯物的教育(奴隷教育)の結果といえます。
頑張ることが正しいと教えられ
成績が良いことが正しいと教えられ
高収入であることが正しいと教えられます。
これは、実は次のような裏メッセージがあります。
頑張らない人は価値が無い
成績が悪いと価値がない
高収入でないと価値がない
承認欲求や無価値観が生まれる原因です。
それは社会人になって仕事を始めても全く変わりません。
国の働き方改革も「仕事が苦役」である、という前提から始めてしまっていることにも気がついていません。
義務教育から始まり、社会で仕事をしても唯物的な価値観に囲まれ、
学術的な本を読んで唯物的な世界観です。
そしてテレビでもお金持ちがすごいと言ったような、タレントのコメントが溢れています。
このような唯物的な世界観に塗れていては、むしろそうではない価値観を維持している方が奇跡的とも言えます。
自分たちの価値観を正し、本質を理解することが大事です。
グローバリストを批判している人でも、根底の価値観はグローバリストと同じ唯物論になってしまっている場合があります。
そのような人はグローバリストを批判しても、権力を持ったら同じことをするか、あるいはグローバリストを批判はしても、代案は示せないでしょう。
代案が示せたとしても少し異なる間違った価値観の社会に導くことになるだけです。
私たちは唯物論と戦うのではなく唯物論を飲み込むくらいの感覚が大切だと思います。
そして、一番大切なことは唯物論の世界を克服できる生き方が使命だということです。
https://real-int.jp/articles/1223/
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