作り出された需要
子供のためのお金のリテラシー教育 お金について考えてみよう
ここでは「お金」にまつわる、いろいろなお話をします。一見バラバラのお話のように見えるかもしれません。しかし、話が進んでいくにつれて、ジグソーパズルのピースのように、一つの絵を形作るために、お互いに関連しあっていることがわかってくるでしょう。ここで読んだことが、既に自分の持っている知識と結びつくこともあれば、日常生活の中で、連載の内容と関連する出来事を見聞きして、納得することもあるでしょう。そういう時に、頭の中で知識のネットワークが強化されます。この連載を読んで、興味を持ったり、疑問に思ったりしたら、続きは、自分で調べてみましょう。
落書きのような絵が123億円?!?!
数年前のことですが、電車のホームに下り立った私は、荒々しい描写の巨大な顔の絵に出くわして、ぎょっとしました。
それは、現代画家ジャン・ミシェル・バスキアの作品の展覧会のポスターだったのです。
その絵はバスキアの代表作でもあり、スタートトゥデイ社長(当時)の前澤友作氏がニューヨークのオークションにて1億1050万ドル(当時の為替レートで123億円相当)で落札、購入したものでした。私が見たポスターの写真は実物大だったようです。
ポスターではありますが、迫力があり、作家のエネルギーのようなものを感じましたので、一度実物を見てみたいなあ、と思いました。が、同時に、美しさとはとても無縁な感じの落書きのような絵画に何故1億1050万ドルもの価値があるのだろうか?と思ったものです。
究極的に少ない供給量は「1」
物の値段は、需要と供給によって決まります。その物の需要に対して供給量が少なければ値段は、高くなり、需要に対して供給量が多ければ値段は下がります。
とても多くの人が欲しい、手に入れたい、買いたいと希望しているにも関わらず、売られているものがとても少ない場合には、値段がどんどん高騰していきます。
どんなに高い値段でも良いから是非とも購入したいという人がたくさんいるので、売り手としてはそんなに人気があるならば、なるべく高い値段で売りたいと考えるからです。
最近の例では、レアなトレーディングカード、レアなフィギュアなどがそれに当たるでしょう。1体が200万円のフィギュア、1枚200万円で落札されたトレーディングカード等もあるくらいです。もっと高いものもあったと思います。
それでは、最も供給量が少ないもの何かと言えば、やはり世界的な名画が真っ先に思い浮かびます。何故なら、供給数がたったの「1点」、つまり世界でただ一つしか存在しないからです。
しかも、大金持ちのコレクターや美術館などが所有していて、なかなか売りに出されることがありません。
それなので、オークションで売りに出される名画があると、その絵を是非とも手に入れたい人たちの競り合いによって、果てしなく値段がつり上がっていくわけです。
最初に書いたバスキアの絵は、前澤氏が是非とても手に入れたかったので、そんな高価格になるまで競り値が上がったのでしょう。
価値づけをする
バスキアの絵をいろいろ見てみると(とはいえ、画像でみただけで、実物は見たことがありませんが)美しいとは感じませんが、大胆な粗っぽいタッチで描かれた、面白い絵だとは思います。
しかし、人によって見方や感じ方は様々ですから、ただの落書きにしか感じられない人も多いかもしれません。ですから、そんなに高価に競り合ってまで欲しい人がいるというのは驚きです。
バスキアではありませんが、世界的に有名になった抽象画には、ペンキをただでたらめに散らしただけのような絵や、画面を同じ色で塗りつぶしただけの絵が、100億円以上という高額で落札されて話題になったものがあります。
いくらみても何を表現しているのかよく分からない絵や、どうみても美しさを感じないような絵であっても、高額な価格がつくのはどうしてなのでしょう?
実は、そこには、批評家、画商、オークション業者が関わっているのです。
一番の好例はピカソでしょう。ピカソはキュビズムと呼ばれる手法で描いた後期の作品がとくに有名で、ピカソといえば、何だかよく分からない絵という代名詞のようにも使われることがあります。「まるでピカソのようだ!」などと。
ピカソが有名になる前に、「次の時代にはピカソの絵が売れるに違いない」と、いち早く目をつけて作品を買い集めていた画商の存在があります。
画商は、いち早くピカソの才能に気付いていたと同時に、それまでになかった全く新しい表現方法の絵が人気になるかもしれないと思ったのです。むしろ、人気にしたいと思い、そのように行動したとも言えます。
画商は裕福な人たちに「将来この絵の価値が上がるから」と言って奨めて回りました。また自分で保有していた絵を、ピカソが有名になったあとに高い価格で売却して大きな利益を得たと言われています。
また、フランスの芸術界では、前衛的な作品が評価されることがありましたが、一般の人々は前衛的な絵をどうみたらよいのかよく分からない。それで、そういう絵を解説した新聞の美術批評欄が人気がありました。
その欄で、美術評論家が絵を絶賛して「価値づけ」を行いました。それを読んだ人々が、絵の権威者がそう言うのだからと、次第にその絵の価値を認めていったわけです。
周りに価値を認める人が多くなると自分も価値を認めざるを得なくなるわけです。新聞も、みんなも、良いといっているのだから良いのだろうと。
さらに画商とニューヨーク近代美術館が共同で企画をして、ピカソの大々的な作品展を行いました。これが大成功であったことから、ピカソの大芸術家としての名声が定まったというわけです。
もちろん、それによって、ピカソの絵を欲しい人が増えるという、大きな需要が生まれ、作品の価格が大幅に上がったことは言うまでもありません。見事に需要が作り出されたというわけです。
ピカソの才能や技法はとても優れたものですが、一見、美しいとも思えず、難解に感じる作品が大きな価値を持つようになったのには、このような事情があったのです。
ちなみに、ピカソは多作家であったので、91歳までの生涯で実に約1万3千点もの油絵作品を残しています。(油絵以外の作品が約13万点)それらの評価価格を合わせると天文学的な数字になると言われています。
話は元に戻りますが、バスキアの場合はどうだったのでしょうか?調べて見ると面白いと思います。
これからも
さて、現代ではどうでしょう?ほとんどの家庭にテレビが置かれ、また世の中の大部分の人たちが、パソコンやスマートフォンでインターネットを使うようになり、様々な情報にすぐに接することができるようになっています。
現代ではこのような情報伝達手段を使って、積極的にブームを作り出そうと仕掛けをするということがよくあると思います。「作り出されたブーム」です。言い換えれば、「作り出された需要」です。
最近でも、そういうことがたくさんあったのではないでしょうか?
ちょっと考えてみてください。
そういえば、○○○○も□□□□も、あるときから急に人気が出てきたなあ。これは、ブームの仕掛け人がブームをしかけたものだったのかも?と気付くのではないでしょうか?
今後もこのようなことは何度も繰り返し起きてくると思いますが、実は、それは昔からあった方法の現代版なのです。しかし、現在では、無理にブームを仕掛けようとしていることが透けて見えてしまうと、逆に敬遠されて、不発に終わることも起きています。
気がついたら一瞬で終わっていたというものですね。仕掛ける方もいろいろな作戦を考えないといけない時代でもあります。
このように、「需要は人為的に作り出されることがある」という視点を普段から持っていて、世の中で起きている物事をみて見ると良いと思います。