胡椒が生んだ株式会社
子供のためのお金のリテラシー教育 お金について考えてみよう
ここでは「お金」にまつわる、いろいろなお話をします。一見バラバラのお話のように見えるかもしれません。しかし、話が進んでいくにつれて、ジグソーパズルのピースのように、一つの絵を形作るために、お互いに関連しあっていることがわかってくるでしょう。ここで読んだことが、既に自分の持っている知識と結びつくこともあれば、日常生活の中で、連載の内容と関連する出来事を見聞きして、納得することもあるでしょう。そういう時に、頭の中で知識のネットワークが強化されます。この連載を読んで、興味を持ったり、疑問に思ったりしたら、続きは、自分で調べてみましょう。
胡椒を求めて
みなさんのご家庭のキッチンやテーブルの上には、おそらく胡椒の瓶が置いてあるのではないでしょうか?胡椒は、何か料理をする時、料理を食べる時に味を調え、引き立てるために、ごく普通に使われている香辛料です。そして胡椒はスーパーマーケットなどでいつでも買える、ごくありふれた商品と言えます。
しかし、12世紀~16世紀ころのヨーロッパの世界では、胡椒がとても貴重なものであり、それだけにとても高価だった時代でした。ヨーロッパでは、肉食が増えるにつれて胡椒の需要が増えていきました。
当時は、肉食のための家畜を冬の間にも飼っておくことが困難だったため(牧草が枯れてしまうため)、冬の前に家畜を食肉として加工し保存する必要がありました。冷蔵庫などない時代ですから、肉は塩漬けにして保存するのですが、それを食べるために匂い消しとして胡椒が必要とされたのです。しかし胡椒はヨーロッパの気候には合わず育たないので、はるか遠くのインドで生産されたものを輸入するしかなかったのです。
当時の香辛料の商人たちは、インドから胡椒を陸路で運び大きな利益を上げていました。ところが、オスマン帝国が興り、中東や地中海の地域をおさえてしまい、それまでのルートで胡椒を輸入することが困難になりました。胡椒の価格は、ますます高騰していきました。
しかし、16世紀になるとポルトガルやスペインの探検家たちが、ヨーロッパからアフリカの南端(喜望峰)を周りインドや東南アジアへ至る航路を発見し、さらに航海術の進歩により海路で香辛料貿易をすることができるようになりました。
貿易商たちは、インドや東南アジアから船で大量の香辛料をヨーロッパに運び莫大な利益を上げることができました。なにしろ、胡椒が金や銀と同じような価値があると言われたこともある時代なのですから。
株式会社の誕生
ところがそこには大きな問題もありました。貿易商人たちは、船を買い、船長や船員を雇って、貿易船を送り出すわけですが、それらが戻ってこないかもしれないという問題です。
船が嵐にあって難破したり、船員が病気にかかって船を操ることができなくなり、船を途中で放棄したりするかもしれないという問題です。(たとえば、南アフリカの喜望峰の周辺にはたくさんの沈没船があり「船の墓場」と呼ばれています)
ですから、貿易商にとっては、貿易船を送り出すということは、無事に戻ってくれば莫大な富が得られる一方、もし船が沈没してしまった場合には大きな損失になってしまうわけです。そこで考えられたのが、貿易商人たちが集まって会社を作ることです。
一隻の船しか送り出せなかった場合は、その一隻が失われればすべてを失ってしまいますが、もしも十人でお金を出し合って、十隻の船を送り出したらどうなるでしょう。たとえその中で、何隻かの船が沈んだとしても残りの船が戻ってくれば、その利益を十人で分け合っても大きな利益になります。株式会社とはこのような考え方のもとに生み出されたと言われています。
会社の設立を設立したい人たちが自ら資金を出したり、他の人たちから資金を集めます。その資金を出してくれた人たちに対して「株式(株)」という権利証(株券)を発行します。この「株式(株)」を持っている人のことを株主と言います。
株式会社は、株の発行で集めた資金で事業を行い、その利益を株主に支払います(配当金)。世界で初の株式会社と言われているのは、オランダ東インド会社だと言われています。設立は1602年です。(ちなみに、日本では1603年に江戸幕府が開かれています)
なお、東インド会社は、ヨーロッパの各国で、上記のほかにも、イギリス、デンマーク、フランス、ポルトガル、スウェーデンなどにも設立されています。(特にイギリス東インド会社は歴史上非常に大きな役目を果たした会社で、その活動の内容からして現在の会社という概念からはかけ離れています)
株式の取引
株式という仕組みが誕生したころから、すでに株式そのものを売り買いすることが行われていました。業績が良くて利益をたくさん産みだしそうな会社の株は価値が上がります。なので、それを欲しい人がいる。その一方で、現在株を持っている人の中には、先々に受け取る配当よりも、現在値上がりしている株を売って利益を確保したいという人がいます。
そこで両者の希望(買いたい価格、売りたい価格)が一致すれば取引が成立します。なお、イギリスやアメリカでは、公設の証券取引所ができるまで、株式の取引は、個人間の交渉で行われ、カフェや酒場、あるいは路上などで行われていました。
証券取引所は、オランダのアムステルダムで、オランダ東インド会社の設立(株式の発行)と当時に1602年に誕生、イギリスのロンドンでは1801年、アメリカのニューヨークでは1817年、日本では1878年に東京株式取引所が誕生しています。
公設の証券取引所にて株式の売買ができるようになると、ますます活発に株の取引が行われるようになりました。そして、配当を求めての取引よりも株式の値上がりによる利益を求める取引が活発化していきました。そして時折「バブル」と言われる現象が起きています。(その話についてはまた別の機会に取り上げたいと思います)
社会の発展にもつながっている
もちろん株式会社という組織形態の会社だけではありませんが、会社が行う様々な事業は、人々の欲しい製品や受けたいサービスを提供し、問題を解決し、よりよく社会を発展していくことにつながります。そして、今回、お話ししてきたように、株式会社という仕組みの誕生によって、人々が新しい事業を始めるチャンスが増加したと言えます。
その株式会社のできるおおもとのきっかけになったのが、ヨーロッパ人の胡椒に対する飽くなき欲望です。それが今日の経済の大きな発展につながったことを考えると非常に面白いと思いませんか?