③日本とウィーンモダニズムとの関係
ウィーン万博
ウィーンモダニズムにおいて、大きく日本の文化と交わった地点が存在します。
それは1873年にウィーンで行われたウィーン万博です。
1873年という年は、日本では明治維新が発足したてであり、岩倉使節もちょうどヨーロッパをまわっていた時に万博を訪れていた、という記録もあります。
ヨーロッパで前後のパリ万博と相まって日本ブームが起き、日本の水彩画などがその後フランスではモネなどの印象派、ウィーンではグスタフ・クリムトなどにも影響を与えています。
ウィーン分離派のオットー・ワーグナーや、クリムトには日本の影響が見られます。
ウィーンモダニズムという文化のビッグバンが起きた時代の直前に、ウィーン万博は開催され、日本の文化が広く知れ渡ったことも、ウィーンモダニズムに大きな影響を与えたことだと思います。
異なる文化が交わって、新しいものが誕生したのです。
EU誕生の生みの親は日本人?カレルギー伯爵とは
日本とウィーンを繋ぐ重要な人物に、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵がいます。
カレルギーはクーデンホーフ家とカレルギー家が連携した伯爵家の出ですが、実が日本の東京で生まれ、青山栄次郎という日本名も持っています。
カレルギーは父親がオーストリア人、母親が日本人で、日本で生まれ、ヨーロッパに母親と共に移り住みました。
カレルギーはオットー・フォン・ハプスブルグらとともに汎ヨーロッパ主義、つまり、一つのヨーロッパを唱えた人物であり、それが現在のEUへと繋がっていきます。
ある意味、EUの生みの親の一人と呼べる人物で、そのような人物が日本で生まれていたのも不思議な縁と言えるでしょう。
日本とカレルギーとの関係はその後も続くことになります。当時ドイツに駐在していたのちに鹿島建設会長となる鹿島守之助と親交を結び、後に再び日本を訪れた際には、昭和天皇皇后とも謁見し、勲一等瑞宝章も受けています。
ちなみに瑞宝章は儀礼的に外国人に授与されることもある勲章だそうです。カレルギーが鹿島守之助、あるいは鳩山一郎といった政治家に影響を与え、戦後の国際社会に大きな影響を与えた人物であったとしても、そうした儀礼的な意味合いでの授与ではないでしょうか。
日本に生まれ、第一次、第二次世界大戦と激動の世界とヨーロッパを生き、日本的な平和思想を持ち、日本の皇室、財界、政治家と交わったカレルギー伯爵は、時代を作ったエスタブリッシュメントの一人と言えます。
ウィーン工房
もう一人、文化・芸術の面で日本とウィーンモダニズムをつなぐ人物に、ウィーン工房の上野リチ・リックスがいます。
ユダヤ人の彼女は日本人の建築家、上野伊三郎がウィーン工房に留学した際に知り合い、結婚して上野リチと日本名になり、その後、京都を中心に活動しました。
上野リチはその後、京都市立芸術大学で教えていた時期もあり、日本の芸術の中にもウィーンモダニズムの影響を与えた可能性のある人物の一人と言えるでしょう。
ウィーンモダニズム Winner Modern
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