ブルネイを最貧困国から最裕福国にした日本人
たった1年で富裕国へ転換の奇跡
ブルネイ(正式名称ブルネイ・ダルサラーム)は東南アジアにある国で親日国です。
原油で潤っており個人の所得税はなく、医療費や教育費は無料です。
現在、世界で有数の裕福国ですが、かつては世界で有数の貧困国でした。
ブルネイは、ポルトガル・スペイン・オランダそして英国の植民地でした。
欧米の植民地になると奴隷的に扱われ搾取されることになります。
英国植民地であった1929年に石油が発見され1930年代に多くの油田が開発されました。
第二次世界大戦の時、日本軍がイギリス軍を排除した結果、1942年から1945年(終戦)までの約3年間、日本はブルネイを「ブルネイ県」として統治しました。
戦後は再び英国の統治下に戻り、その後1984年に英国から独立しました。
日本がブルネイを統治した1942年にブルネイの県知事に着任した日本人が木村強(つよし)さん、当時41歳。
県庁で商工課長などを歴任された方です。
木村さんは王位を尊重し敬意を持って接しました。
王様や側近の人達は日本人に対して親近感を持って接触し丁重に迎えられました。
木村さんは王様から、何か希望はあるかと問われので、ブルネイに詳しい人を秘書として欲しいと答えました。
秘書となったのは王様の弟(当時26歳)頭脳明噺な好青年です。
こうして木村さんと秘書(王様の弟)たちは一緒に仕事をすることになりました。
ブルネイの自立と発展に力を注ぐ
植民地は搾取されるのが常識でしたが、木村さんはブルネイを日本の国益だけを考えて統治するのではなくブルネイの自立と発展にも力を注ぎました。
木村さんは次のような信念で統治したのです。
・日本人の言動が、後世にも笑われたり、批判されたりしないように統治する
・品位を保ち、日本の国際的信用を高める
・大事なのは今ではなく未来であり、目先の利益のための搾取などしない
・深い信頼関係を築くことで長く付き合う
・自立発展することで長期間お互いが繁栄する
貧しい国だったので経済的に自立できるように天然ゴムが採れることに注目し、原油開発の費用を回して現地に工場を建て、現地の人を雇い、きちんと賃金を払いました。
道路・電気・水道・通信などのインフラ整備を進め、子供の教育の機会を与え、自立できるようにしたのです。
さらには、現地の人からも怖れられていた首狩り族のイバン族を度々訪れ、イバン族とブルネイ人、そして多数の部族がいがみあっていた状態から融和をもたらしたのです。
ブルネイ人の自尊心を傷つけぬように心に寄り添い、現地の風習を最大限に尊重し接することにより現地の人々も協力してくれました。
日本文化により日本人が尊敬されることに
木村さんの任期は僅か1年程でしたが、皆から絶大な信頼を得ました。
この1年でブルネイの生活基盤が激変し国の基礎ができた奇跡の1年となったからです。
木村さんがブルネイを去る時には送別会が催され、ブルネイ人の幹部も木村氏さんも男泣きしたそうです。
ブルネイでの任期を終えた木村氏はマレーシアに移り帰国後は検事として働きました。
1963年、日本の商社の幹部経由で、ブルネイの王様から会いたいと書簡が届き22年ぶりの再会となります。
実は、王様は木村さんに逢いたくて一旦来日したものの、会えなかったことが分かりました。
その時の王様は木村さんがブルネイ県知事をしていた時に秘書を務めた当時の王様の弟だったのです。
秘書として共に仕事をしていた当時の王様の弟が、多くの経験・見識・民主的考え方を身につけ王様になり、ブルネイの発展のために献身的に働いておられたのです。
王様は木村さんにブルネイに希望する地位と職業を用意するので働かないかと提案されたのですが「ブルネイは実に立派な国になったので私の力は必要ありません。遠くからブルネイの発展を見守っています」と回答しました。
日本は長年にわたりブルネイの最大の貿易相手国であり、現在も液化天然ガス(LNG)の輸出総量の約6割が日本向けです。
東日本大震災の際にはブルネイ政府から100万米ドルの義援金や、民間から多数の支援と寄せ書きを受けたのです。
木村さんや日本が今でもブルネイで尊敬されているのは、木村さんが日本人の心、日本文化を伝えたからです。
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