物語 ディーラーは死なず1

為替ディーラー物語『ディーラーは死なず』
日々の外国為替相場にリンクして進行するディーラー物語。相場動向を物語にしているため、相場で何が起きているのか相場を疑似体験でき、相場の本質の理解に役立ちます。
前回の物語は、こちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/1634/
エピソード1 収益改善
第17回 顧客の含み損
9月期も今週で終える。帰国してから5カ月も経っていないが、多くの出来事があった。
収益改善での苦労、JMI(日本海上保険)とのトラブル、田村との確執、部下の前島の失踪などが脳裏に浮かぶ。
こうした問題の多くは、尊敬する上司の東城、必死に自分をサポートしてくれる部下の山下、そして社外の友人・知人のお蔭で何とか解決してきた。
もっとも、解決の糸口すら見つかっていない問題もある。かつての恋人・岬との関係だけは、彼女が人妻である以上はどうにもならない。夫と別居中の身とは言え、簡単に彼女との距離を縮めるわけにはいかないのだ。
だが、まだ攻め時は来ていない。もしかしたら、永遠に攻め時は来ないのかもしれない。‘辛い関係が続きそうだな’
いずれにしても来週からは下期が始まる。‘また頑張るか’
週前半(25日~26日)、ドル円は12円半ば(112円半ば)で上値の重たい展開から11円半ばまで反落した。市場が先週の高値12円72~99銭(昨年12月の高値118円66銭からの安値107円32銭の半値戻し)を攻めることに躊躇しているのだ。
しかしながら、週半ばにはイエレンFRB議長のタカ派的発言で、ドルの買い方が勢いづき、2カ月半ぶりの水準となる13円26銭を付けた。9月末でなければ、関心を抱く状況だが、この時点で収益を振らすことはできない。
ここは少し相場から離れる良い機会と捉え、事務仕事に専念することにした。そんな折、廊下ですれ違ったバックオフィスの山根美佐子が耳に入れておきたい話があると声を掛けてきた。
山根には外国為替部に異動になった当初、事務的なことで随分と世話になった。為替取引やマネー取引に関する知識が豊富であることや、国内外のバンキング・システムにも通じていることが評価され、今は事務管理統括部長にまで昇進している。インテリジェンスの権化みたいな風貌でややきつい顔つきに見えるが、根はやさしい人である。
「仙崎君、君の管轄だから当然カスタマーの収益管理もしてるわよね?」相当に歳下なので、昔から君づけで呼ばれているが、気にしたこともない。
「もちろんしてますけど、何か?」
「ここ半年急速に為替の取引高と収益が増えている企業があるけど、何か変だと思わない?」
「それって、コネティカット・ファーマシーのことですよね。チーフの浅沼にその辺のことは聞いてますが、担当の安居真紀が頑張って取引を増やしてきたという話なので、彼の言葉を文字通り受け取っています」
「少し気を付けた方が良いかもね。先日うちの若い子達と食事に行ったときの話だけど、彼女達がこの夏、銀座のイタリアン・レストランで安居さんが30代の男性と一緒に食事をしてるところに出くわしたらしいの。
そのときはコネティカットの担当者だと紹介され、接待だと言ってたそうよ。でも、若い子達の一人が数日後にまた青山通りでその二人が仲良さそうに歩いているのを見かけたと言ってる。まあ、だとすると恐らくそういう話よね」
「銀行の顧客担当が顧客企業の担当者と付き合う、それはあり勝ちな話ですよね。仮に二人が真剣に付き合っていれば問題はないでしょうが、取引が急増したというのは色々な意味で拙いかもしれませんね。
情報、ありがとうございます。早速調べてみます。山根さんのことだから、本件、彼女達には他言無用と言って頂いてますよね」
「当たり前でしょ。それにうちの子達全員、仙崎君のファンだから、あなたに不利になる様なことは言わないわ。それより、たまにはおばさんとも付き合いなさいよ。昔より美貌は衰えてるけどね」と笑いながら言う。
「今でも、美貌を十分に維持してるじゃないですか。それじゃ、失礼します」と言って、その場を辞した。別れ際、どことなく彼女の顔が赤らんだ様に見えた。
デスクに戻り、改めてカスタマーの取引状況を確認すると、確かにコネティカットの取引高が急増し、コミッション収益も前年比で3倍に上っている。この点では問題はないが、コネティカットの含み損が大きいのが気懸りだ。
確かに未決済残高(決済期日前の残高)はリミットこそ超えていないものの、含み損はリミットの5000万円に近い。コネティカットの担当の上司はこのことに気付いているのだろうか。外資系企業は経理・財務関連部署を少人数でやりくりしているケースが多い。
チェック機能が十分に働かなくなる可能性がある。一応、全てのディールのコンファメーション(確認書)が戻ってきているかを確認しておく必要がある。
コーポレート・デスクのチーフ浅沼に電話を入れ、5分後に社食で会うことにした。2時過ぎともなると、もう利用者はいないはずである。
「山下、社食に行ってくるが、後は頼む」と言って、席を離れた。既に浅沼は皇居の森が一望できる窓際の特等席に座っていた。
山根との会話のあらましを話した上で、「取引が急増してるのは兎も角としても、含み損が大分増えているのが気になる。そのことを先方の担当者の上司が知らないと拙い。土台、製薬会社がこんなに沢山のスペック(投機取引)を行っているのも不自然だ。
まずは、先方から戻ってきた今期のコンファメーションに不信な点がないか調べてくれないか?本件は山根さんも心得ているから、バックオフィスからコンファメーションを借りることに問題はない」
「そうですね。うちから提供しているクレディット・ライン(与信枠)や損失リミットには抵触してませんが、担当者が何か隠していると拙いですね。了解しました。」
「それと、安居君と担当者との関係も気になる。それとなく探りを入れておいてくれ。先方との接待の回数とかもな。お前も月末・期末で忙しいだろうから、来週初辺りまでに調べておいてくれればいい。
話はそれだけだ。今期もご苦労だったな。大分お前のところの収益も回復してきた様で良かった。それじゃ、本件、また来週に話そう」
週後半のドル円は再び直近高値の13円26銭を試したが、抜けないまま再び12円台に押し戻された。実需のドル売りが出るなか、少し高値警戒感もある。
週末の東京市場は12円半ばを中心とした模様眺めの展開に終始し、海外市場も動意薄の展開になりそうな雰囲気である。
週末の夜、久々に山下を誘い、銀座のカウンターバー‘やま河’に出向いた。
「9月期はご苦労さん、お蔭で助かったよ。まずは、ビールで乾杯だな」
直ぐにカウンターにラガービールのボトルと麻布十番の塩豆が置かれた。
塩豆を一つ二つ口に放り込みながら一杯目を飲みほしたところで、グレフィデックのロックとラフロイグのロックを注文した。
ウィスキーグラスがカウンターに置かれるや否や、山下が「タマゴサンド1.5、野菜サンド1.5、それに何かこれに合いそうなアテをお願いします」とママに頼んだ。
「それは俺の分も入れてのオーダーだろうな」
「もちろんですよ。減量中ですからね」と半ばふてくされた様に言う。
ロックが二杯目に移ったところで、コネティカットの話を持ち出した。
「そうだったのですか。この半年あそこのディールが増えているのは分かっていたのですが、少しやっかいな問題に発展しそうですね」
心配しているのだろうが、彼の問題ではない。トレーディング収益に追われ、カスタマー管理に目が行き届かなかった俺の責任が大きい。
「そうだな。男女の関係にビジネスが絡んでいるとなると、ちょっと拙いな。なかなか全ては上手く行かないもんだ」溜息をふーっと吐いた。
そんな様子を見て山下が励ます様に言う。「岬さんという、心の支えがあるじゃないですか」
「ばか、今は心の支えどころではなく、むしろ心配の種だ。彼女の夫が岬の身辺を探っているらしいという話も何となく気懸りだしな。まあ、残念ながら岬の件は当分、様子見だな」
「そうですね。家内も心配なので、毎日の様に電話を入れてる様です。今日はとりあえず、飲みましょう。了さんの相場予測をつまみにして」
「俺の今の予測はだめだ。このところ、JMIや前島の件があったので真剣に相場を見ていない。お前の方が相場が見えてるんじゃないのか。どうなんだ?」
「今週、市場は実需の(ドル)売りを意識していた様です。ドルが続騰してますから、ディーラー仲間も相当に高値警戒感を持っているのも事実です。でも、予想外にドルの下値が堅いですね。
シカゴがまた円売りに動いたというのも気になります。一応、来週は13円26が抜けた場合は14円台前半もあり、抜けない場合は10円台後半もありといったところでしょうか」
「本邦では週初の日銀短観、衆院選を控えての株価動向、アメリカではISM、米雇用統計、気の緩んだところでの米朝問題復活など、盛りだくさんだな。お前の言う様に、10円台~14円台程度で構えておくのが無難か。まぁ、期初だから慎重に行くか」
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