物語 ディーラーは死なず1

為替ディーラー物語『ディーラーは死なず』
日々の外国為替相場にリンクして進行するディーラー物語。相場動向を物語にしているため、相場で何が起きているのか相場を疑似体験でき、相場の本質の理解に役立ちます。
前回の物語は、こちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/1254/
エピソード1 収益改善
第7回 懸念と再決意
東京市場が「海の日」でクローズとなった週初(17日)の夜、社宅から出るのが面倒で、宅配のピザで夕食を済ませることにした。日本の宅配ピザのバリエーションの多さには驚かされるばかりだが、何よりも旨いのが良い。
だが、シンプルなニューヨークのピザもまた忘れがたいものがある。そんな懐かしさを覚えながら、デスクの上に置かれたマルゲリータのスライスを次々と胃に入れた。
BGMにはコルトレーンのアルバム‘Ballads’を選んでいた。定番過ぎるほどの定番となったアルバムだが、挿入された曲のすべてが耳に心地良いのがその理由だろう。
少し腹が満たされたところで、情報端末とPCの画面に目を向けた。特に何を見るでも読むでもないが、長年の習性である。
少し考え事をしたくて、数枚残ったマルゲリータをキッチンに片づけ、かわりにラフロイグとショットグラスをデスクの上に置いた。セカンド・ショットを空けたところで、転勤後の慌ただしかった一カ月半の出来事などを思い起こす。
「前年度も市場部門はバジェット(目標)未達に終わっている。今年9月期の未達だけは何とか避けたいので頑張ってくれ」という指示を東城から受けたのは、帰国して間もない一カ月前のことだった。
ニューヨーク支店にも凡その情報は入ってきていたが、ディーリングルームの実態は分からなかった。東城もまた、支店で奮戦している俺のことを気遣い、決して本店の酷い状況を話さなかったのである。
最近になって、そんな過去の実態を山下が語ってくれた。市場環境に恵まれなかったとは言え、前任者川原の就任後2年間の成績はあまりにも酷く、彼の収益が2年間でプラスになった月は2~3カ月ほどだったという。
チーフを務めていた大竹も荒いディールが目立ち、前年度は大きくやられたそうだ。上二人の技量のなさや結果がインターバンクやディーリングルーム全体の士気の低下につながったのだろう。
だが、俺が帰国してから部下達の士気も少しずつ上がってきた様である。これからは俺が稼ぎ、皆が稼ぎ、そして本部全体に活気が戻ってくれば必然的に収益が上がってくる。
‘また今から仕事をやるか!’、俺も病気かなと思いつつ、ニューヨークの沖田に電話を入れた。
「どうだ、市場は?」
「はい、今日は総体的に静かですが、コストの悪いショートが残っている感じがします。クロス円がビッドなので、ドル円も多少上がると思いますが、了さんは今週もドルは下がると思ってるんですよね?」
「多分そうだろな、この感じだと。弱いときには売り材料がついてくる、相場付き次第で普段なら見向きもしない与件も弱い通貨の悪材料になってしまうからな。
どうせ、有象無象のドル売り材料が出てくる。逆にユーロには買い材料がついてくる。
最近のドラギ(ECB総裁)の示唆をメディアが誇張し、ユーロにプラスに働く。リーブを頼む。
ドル円は‘80(112円80銭)で50本の売り、それにユーロドルを25(1.1525)で50本の買い’だ。
ドル円は当分上がらないと思うから、ストップはいらない。ユーロドルだけ下の75(1.1475)でストップを入れておいてくれ」
「了解です」
「ところで、そっちはどうだ?」
「了さんがいなくなって、支店の皆もブローカーの連中も、淋しがっていますよ。
収益はまあまあです」
「お世辞にしても、俺がいなくなって、清々したと言われないだけマシってところか。収益もまずまずで良かった。ところで何か問題はないか?」
本店の外国為替課長として、これからは海外店のケアもしていかなければならない。前任の川原や部長の田村がそれをしてこなかったために、東城の負担が増えていたのだ。少しでも彼の負担を減らせればと思う。
「実は子供の日本語があやしくなってきたので、家内が帰国を望んでいます」
「そうか、また俺の下でも良いのか?」
「はい、それはもちろんです」
「わかった。来年3月頃をメドに考えておくよ」
「学年の切れ目の9月には間に合わないが、そこは勘弁してくれ。それと不測の事態が起きると拙いので、奥さんを含めてコンフィデンシャルで頼む。それじゃ、またな」
「ありがとうございます」
沖田との電話が終わったとき、時計は10時を回り、グラスは4杯目に移っていた。全く酔いがこないのは、先のことが気になっているからだ。9月末までの時間を考慮して先週は勝負に出たが、あんなもので良いのだろうか。
先週のドルの上伸は4円49(114円49銭)で止まり、ほぼ予測通りの水準で上値が抑え込まれた。4円台での売りはトータル240本、平均コストは4円29だった。これらはすべて手仕舞った。
3円20・2円35で80本ずつ買戻し、そして残りを108円台と11円台で作った根っこのロング80本にぶつけた。利益は5億数千万に上る。帰国後のジョビングで儲けた数千万と合わせると、ざっと6億稼いだことになる。
東城は幾ら稼げとか、金額に一切触れていないが、この先のインターバンクの収益のブレ、安定しているが低調なコーポレート・デスクやオプション・デスクの収益、そして自分の管轄外だがマネー・デスクの冴えない状況を考慮すると、俺のプロップ(ポジション・テイキング)で15億を稼ぎ出す必要があると踏んでいる。
それには、9月末までの2カ月余りで9億程度を稼ぎ出さなければならない。少し揺らぎかけた自信を取り戻す様に、6杯目の残りを一気に喉に流し込んだ。翌日からやはりドルは下がり始めた。
1円半ば(111円)まで下げては2円に戻すといった展開を続けていたが、ドルは次第に力をなくし、週末のニューヨークで111円割れ直前まで下落した。だが、今週は沖田に頼んだオーダー以外に市場には一切入らなかった。
内部の会議、申請書類の作成等で忙殺されてしまったのだ。確かにドルは下落したが、良い売り場買い場がなかった相場展開だったこともある。
週末の土曜日、面倒な用件を抱えていた。以前から国際金融新聞の木村から‘夏相場’についての原稿執筆の依頼を受けていたのだ。一度引き受けてしまった以上、書かないわけにはいかない。
有体のことを書いてEメールで送信した。すると間髪を入れずに、木村から礼のメールが送られてきた。
「来週はどうですか?」と付け加えてくるところが如才ない。
「ドル円は3月以降、下落局面で2回、110円~112円50銭で揉み合っている。結果的には2回共、ドルは10円を割り込んでいる。
その時点の安値は1回目が108円13銭(年初来安値)、
2回目が108円81銭。揉み合いでドルが負ける確率は高い。
ただ、既に短期のRSIが低いので、一挙に抜けずに反発することもある。
そのあたりの様子を見たい。ユーロドルは15年8月の高値1.1711を抜けると、
一段高の可能性。ドルやユーロの与件は、巷に転がっている通り。
書き散らしですが、木村さんの方で適当にまとめておいてください。
それでは、失礼します」と書いて、PCをログオフした。
続きは、こちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/1461/