物語 ディーラーは死なず1

為替ディーラー物語『ディーラーは死なず』
日々の外国為替相場にリンクして進行するディーラー物語。相場動向を物語にしているため、相場で何が起きているのか相場を疑似体験でき、相場の本質の理解に役立ちます。
前回の物語は、こちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/1227/
エピソード1 収益改善
第5回 節目のとき
先週のドラギECB総裁やカーニーBOE総裁のタカ派的発言で欧州通貨円クロスが急騰し、それに連れてドル円も堅調となった。今週(7月3日週)も、この地合いを受け継ぎ、週初からドル円は堅調で水曜日には113円69銭まで上昇した。
先週作ったポジションのうち、ユーロ円は既に利食いを入れてしまったが、コストの良いドル円のロングはいまだに手仕舞わずにいる。現在は、108円台の30本ロングと11円85銭の50本ロングが残っている。
108円台のロングは米5月CPIが公表された6月14日に作ったもので、11円85銭のロングは先週の休暇中にディップ(押し目)を拾ったものだ。明日には米6月雇用統計が発表される。
市場が注目している非農業部門雇用者数(NFP)のアナリスト予測は約18万人増とそれ程強くないが、3日に発表された6月のISM製造業景況指数が予想以上に良かったせいもあり、これまでのところドルは堅調だ。
もっとも、ドル円は13円前半を付けては12円後半に下落し、13円後半を付けては再び12円後半に下落するといった難しい展開で、市場の多くがドル一段高の予測をしながらもコストの良いロングを持ち切れていない様子である。
知り合いのディーラー連中も買っては投げさせられ、買っては投げさせられているという。振り返れば自分自身もドル円に関しては、これまでのところジョビング*程度のことしか出来ていなかった。
虎の子のドル円80本のロングはキープしたままだが、結局米雇用統計前日の木曜日(6日)までに残せたニュー・ポジションは129円05銭で何とか押さえたユーロ円のロング50本だけである。もっとも、ユーロ円のロングもそう長くキープするつもりはない。
ドラギ総裁は自身のテーパリングの示唆が金利市場に与えた影響が予想外に大きかったことを気にしている。その反省のために、彼がややハト派的な発言をする様な気がしてならないのだ。
金曜日の夜、米雇用統計に備えて山下以外にも5人居残った。コーポレート・デスクも重要顧客を持つディーラーが数人残っている。ただ、最も市場の耳目を引く米雇用統計発表の日でも、ディーリング・ルームにはかつてほどの賑わいはない。
結局この日も常連の商社三社、自動車二社、そして生保二社との取引があっただけで、インターバンクもコーポレートも大きな収益はなかった。もっとも、自動車と生保のいずれもがドル円を売ってきたことは大きな収穫と言えた。
市場予測よりもNFPが良かったことを受けてドルが買われ114円台付けると、間髪を置かずに自動車の一社が40本を売り、生保の一社が100本を売ってきた。彼等も5月の戻り高値が114円38銭止まりだったことを気に止めていたのだ。
むろん、足下のドルが強いのは分かっているし、ドラギ総裁の示唆が米金利に上昇圧力をかけていることもあるが、やはり真っ当な企業の売り処は概ね同じなのである。
6月調査の日銀短観に記載されている大企業・製造業の17年度における事業計画の(ドル円)想定レートは108円31銭だった。それと比べれば、足下の相場水準は相当に余裕のあるレベルだが、彼等は不測の与件が出れば5~6円はあっという間に振れることを十分に心得ている。彼等の売りを見て、自分もドルを売る気になった。
日が変わる頃、山下と銀座のバー‘やま河’にいた。店は12時で終わるが、ママに少し無理を言って閉めるのを待ってもらった。
「了さん、たった今、沖田さんからメールが入りました。10(イチマル、114円10銭)で30本売れたそうです。ただ、30(サンマル)の売り20本は無理そうだということです」
「分かった。ありがとうと伝えてくれ。そして30の売りもオフにする様に」
「了解です」と言うが早いか、スマホに指を滑らせている。
「ママ、ビールを中ビンで頼む。グラスは三つ」
カウンターに置かれた三つのグラスに自らビールを注ぐと、山下とママに渡した。
「お疲れ様」 少しだけグラスを持ち上げながら三人の声が揃った。
カンターに置かれた麻布十番の‘塩豆’を二粒つまんで、口に放り込んだ。おしゃれで素朴な味が良い。
「ママ、ラフロイグのオンザロックとドライド・フィグ(干しイチジク)」
「僕はグレンリベットをテイスティング・グラスでお願いします。それとアテは了さんと同じものを」
「すっかり、テイスティング・グラスが気に入った様だな。でも、干した果実は糖質が一段と高くなるから気を付けろよ。それ以上腹が出ると嫁さんに嫌われるぞ」
小太りの山下だが、最近その傾向が目立つ。
「はい」と照れ笑いを浮かべながら、話題を岬の件に切り換えてきた。
「岬君の件ですが・・・。妻と同期入行で仲が良かったこともあり、二人は結婚後も電話やメールのやりとりを続けている様です。別居してから既に2年以上経つらしく、ご主人と性格が合わないのが理由だとか。妻は結婚式に出席したときに紹介されたそうですが、少し神経質な感じを受けた様です。財務官僚とのことですが、何となく想像がつきそうな人物ですね」
「夫婦のことはよく分からないが、日々の暮らしのなかで消化できない澱が心の中に溜まってしまったのだろうか・・・。離婚するかどうかは別として、まだ35歳だ。新しい生き方もあるはずだが」
岬の旧姓は中谷だったが今の姓は何と言うのだろう。もう別れてから8年も経つのに、そんなことが少し気にかかり出してきた。
「そうですね。今日はもうその話は止めましょう。ところで、来週はどんな感じでしょうか?」
「そうだな。雇用統計の結果が良いとき、その翌週のドルが必ずしも強いわけではない。それはお前も良く知っている通りだ。このところ、短期RSIの水準も大分高くなっているのも気に懸る。
ただ、市場が今日の統計とFRBの正常化路線を結びつけるのなら、多少のディップを作ってから上値を試すかもしれない。来週は108円台からのドル高が大きな局面を迎える様な気もする。
今日付けた4円台の高値を更新すれば、追いかけてその味を確かめてみるのもよし、また上値が重ければ売ってみるのもよし、日計りはそんな感じかな。
やっかいな相場があるとすれば、114円64銭(トランプラリーの最高値118円66銭と、それ以降の最安値108円13銭との61.8%リトレースメント)を上抜いたときくらいかな。
俺はややベアに構えているけれど、インターバンクは柔軟に対応してくれ。まあ、来週も頼むよ」
注:ジョビング(jobbing):短期売買で利鞘を積み重ねるディーリング
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